私の闘病記

年月 症状&治療
1976年 中学一年生 昼休み、鉄棒で遊んでいて、まっ逆さまに頭から落ちる。
昼からの授業は上の空であったと記憶している
1978年 中学三年生 若いからか体の変調は気にしていなかったが、耳の方が悪くなってくる。除々に聞こえにくくなる。
高校三年間 耳は徐々に悪くなる一方。運動部に入るが疲れやすく、退部
生徒会で活躍?生徒会長も経験!その後生徒会の評判が落ちる・・・・・悪友を引き込みすぎたようだ・・
1983年 大阪に就職 サービス業に就くが、後ろから声を掛けられても判らず、愛想の悪い奴になる・・・

出来るだけ愛想のいい兄ちゃんになるため、笑顔だけは絶やさないようになる。かわいいスマイル・・
1987年 結婚 和歌山に戻り結婚。
1988年頃 肩コリや首コリが酷くなる。脳もスッキリしないが、耳が悪いのでそのせいだと思っていた。

整形外科等に行くが異常なしで、接骨院に通う。
電気治療と、マッサージ少々・・・余り効かない

聴力が悪くなるばかり、身障者6級となる
1990年ごろ 一段と肩コリや首コリが酷くなる。別の接骨院に替え針やお灸をしてもらう。かなり通ったが効果なし。

近くの治療院で、針とマッサージを1時間ほどかけてしてもらう。これは案外、効果あり、楽に仕事ができた。
1994年ごろ 家族でスキーに、子供のすべりを見ながら、立ち止まっているところへ、後ろからスライディング!巨体が宙にまい、アイスバーンの様なゲレンデに後頭部激突。2,3分脳震盪で立ち上がれず、加害者は逃げてゆく・・・・

この後、毎日のように、マッサージに通う。

でないと次の日、動けない。

全身いたくなり、倦怠感が増す。

が、仕事が忙しく、そんなこと考えている場合でなく、無理やり仕事する。
1995年ごろ 重い荷物を持ち、細いところを駆け足で通り抜けたところ蹴躓いて、左ひじをお腹の下に巻き込んだまま2,3メーター吹っ飛ぶ。
起き上がるが、左腕が動かない・・・肘が外れている・・・・
整体師に入れていただくが、痛くて、整体師を吹っ飛ばす・・
痛くて、戻してほしくないくらいだったが、寄ってたかって押さえ込まれ、入れられる。

怪我ばかりで、ドンドン調子が悪くなっていく。

腰痛がひどく、腰を検査するが、椎間板が磨り減っていますが、ヘルニアはないとのこと。50代の骨格・・・・

年間、8万キロくらい、走りまわる。肩こりが異常で吐き気をもようす。
1996年ごろ 家の階段が急で、高低差5mくらいあったのですが、あわてていて、階段をおしりで、3回くらいで下まで落ちる。
痛いが、打撲だろうと、2,3日仕事するが、痛くてかかりつけの整形外科へ。仙骨にヒビが入っているとのこと。
もう少しで笑いながら死ぬ所???。

これから、自分の体が自分ではないような感じがするようになる。

どこの病院でも肩こりでしょうのことで、マッサージしかない。
仕事の方は、自分しか走り回る奴がいないので、東京出張も日帰りとかこなす。

このころから、無意識にロボットのように運転していた。走った道の記憶がない・・・・


頚椎ヘルニアが有るが、本当にちっちゃいから大丈夫とのこと
1999年 ドンドン聴力が落ちてくる。
体も、首痛、肩こり、倦怠感、耳鳴り、背中痛、頭の回転が悪い、全身の筋肉がガチガチになる等、仕事するのがとてもしんどくなる。

意識が飛びまくる。何が何だか判らなくなってくる。
2000年 何処に言っても、肩こり、精神的とか、俺はキチガイか・・・
医者が信じられない、二度と行くもんか!

なんとも怪しい、宗教のようなものに厄介に。

でも直るわけでなく、症状が進む

頚椎ヘルニアをもう一度見てもらう。少し成長したようだが、大丈夫とのこと。腰の方は、なぜか、椎間板が元の厚さに戻っている。が、目茶痛い。
2001年3月 九州出張時、前の日お客さんと飲み明かし、サウナで宿泊
朝起きると、目の前がグルグル回っている。何だこれは?
二日酔いなのか?こんなのははじめて・・
一歩足を前に踏み出すが、横にしか足が出ない、カニ歩き・・・なぜか横のほうに足を出そうと思えば前に出た。
が、千鳥足で何とかお客さんとこへ。とても仕事できる状態でなく、頭はガンガン、グルグル回って、首は動かない、寝違えたような感じで、体の全てが痛い。どうしようもなく。
お客さんに事情説明し帰途に。


車なので、九州道、山陽道、中国道、近畿、阪和と乗り継ぎ帰るが、途中気がつけば、押し越し車線であったり、走行車線であったりで、帰ってから何処をどう走ったのかも記憶にない状態。脳の異常???


1週間ほど寝込んだが、治まったので、又仕事!
2001年6月 また、突然発作、グルグル全てが回っている。とても立てない。眼をつぶっても残像が回り続ける、吐きまくる。

思考等止まっている様。箸を持とうとしたら、左手で持っていた、右利きなのに・・・・訳わからんようになる。

2週間ほど寝込む。

また、治まったので仕事!が、2週間後また、発作。

和歌山で車運転中、発作が・・・とても運転できず、迎えに来てもらう。その足で、医大へ。異常なし。
2001年7月 とても動ける状態でない。意識障害が多く、記憶も出来ない
インターネットで脳の障害を探す。
たまたま鞭打ちのページに行くと、全く同じ症状のひとの体験談が。これだ、まさしく低髄液圧症候群に間違いないと確信しました。

脳では有名だと、奈良の病院に行くが、肩こりでしょと、低髄液圧症候群ではと聞くと、そんな病気100万人に一人あるかないか病気で、あんたがそれな分けない!酷い肩こりかなんかや、近くの病院で診て貰い!で、追い返させられる。

往復2時間、待ち時間2時間、問診3分・・・きちっと金は取られるし、ほとんどぼったくり!
2001年8月 鞭打ちのページの管理者中井氏にメールを出す。
同じ和歌山で、親切に対応してくれ、平塚の病院を紹介していただく。
2001年9月 いざ平塚へ、新幹線の横揺れは耐えられず、いつでも止まれる、慣れた車で、嫁さん運転で行く。

待つこと2時間、順番が回ってきて、問診。

入って一瞬、怖そうな先生だと感じたが、遠いところご苦労さん、疲れたでしょうと気遣ってくれ、症状を細かく、目を見ながら真剣に聞いてくれて、すごく心が落ち着いた状態での問診。こんな状況は、はじめてで、こんなお医者さんもいらっしゃるのだとはじめて気づきました。

医者不信も直りそうかな・・・


かなりの割合で低髄でしょうとのこと。入院して検査が必要で予約するが、2ヶ月待ちかなと言われるが、看護婦さんがこの日キャンセルがさっきあったのでとのことで10月に
2001年10月 いざ、平塚へ。
嫁さん運転で行く。怖いが・・・・

2時に入院してMRI検査。

完全看護とは知らず、大部屋では簡易ベットは入れないとの事で、外出許可を頂き、嫁さんを、ビジネスホテルまで送っていく?そのついでに、カニ料理のレストランがあり、好物のカニを食った。うまい!明日からは病院の食事・・・

同じ部屋の方で、一人は低髄、あとの方はヘルニア等で、低髄患者は今年になってから多くなってきたねと、長期入院されている方がおっしゃってました。


2日目から個室へ移動して、先生の許可を得て、簡易ベットを入れてもらい嫁さんも宿泊。


3日目にRI検査。病室にて、ラジオアイソープを注入。

朝飯は抜き。いきなり来られたのでトイレにいけず・・・・
6時間は寝たままでとの事。早く言ってくれよ・・・・トイレが・・
一時間して、ベットごと検査室へ。楽チン!
本日は3名の方がRI検査だという事で渋滞。
一回に30分くらい撮影にかかる。寝るしかない・・・
3時間目も、ベットで。トイレが・・・・限界。
尿瓶だとでない・・・・慣れないもので。
6時間目は、歩いて行ってとの事でトイレに駆け込む。
検査は相変わらず30分以上かかり、よく寝れた。
後は24時間後なので次の日の検査でした。

5日目、先生から結果を聞く。RIでは1時間目の膀胱集積が見られるが漏れているところはわからなかった。

MRI画像では、脳が下がり毛細血管が、血管化していて、これを異常と言わずして何を言うのかという状態らしい。

晴れて、低髄液圧症候群と相成りました。

嫁さんと、良かったなあ、やっと病名がついたと喜びました?
で、EBPの説明を受けて、さあやりましょか!
え〜!もうするの??心の準備が・・・という暇もなく、処置。

横向けのえびぞりになり、先生は腰部を探り麻酔を打ち、看護婦さんは腕から、採血。あ〜失敗しちゃったあ、ごめんと・・・痛いのよ失敗されると・・・


いざ注入。う〜ん。なんとも言えない痛さ。腰が膨れてくる〜足が痛いのか、腰が痛いのかわからない痛さ。

女の人が言うのに、陣痛の痛さとか、陣痛ってこんな痛さなのと、歯を食いしばっていましたが・・・産みそう??
15分もかからず終了。

腰が〜!なんとも言えない痛さで動けない・・・

そこへ点滴3本。痛いし動けないし、寝れないし・・・
夜中、点滴切れるのが怖いし・・・
朝、回診で、もう退院していいよ。との事。えっ?もう退院ですか?歩けないですけど、まともに・・・

とても、8時間も車では耐えれないから、横浜の親戚へ

次の日、腰は痛いが何とか歩けるので帰途へ
2001年11月 EBP後一週間周期で、悪くなったりして寝込みがちに。
一ヶ月たったころから、大分楽になってくる。
2001年12月 仕事もほったらかし状態だったのでなんやかんやと、忙しくなる。が、寝込みこむ前くらいの体調に戻ってくる。
2002年1月 年始は何かと忙しいが、それなりに動ける。
寝込むことはなくなったが、頭痛、首痛、背中痛、腰痛は相変わらず。
2002年3月 だんだん調子が上がってくる。
全体的に痛みが緩やかになる。
2002年6月 体は数年前くらいに戻っているようだ。
しかし、思考力、記憶力等が余計悪くなってくる。

お客さんと、5分前にしゃべった事すら覚えていない。

ドンドン信用を落としていく・・・・最悪。
2002年7月 ドンドン記憶が消えていくようだ。機械図面も書けない。寸法をある程度、頭で計算しながらでないと図面は書けないのですが、その計算も、記憶も出来ない・・・

とても、仕事どころではなく、平塚へ。

先生に懇願して2回目のEBP
畑中さん個室でもいいよね、との事で、個室へ。
今回は一人なので、かなり寂しい・・・

EBPのみで、入院早々、EBP。またまた、心の準備が〜・・・パジャマに着替えて直ぐに、されちゃいました。

やっぱり痛い〜・・・・二人目を産んだ気持ち・・

今回は一日3本の点滴で3日間で9本らしい。

ずーっと点滴繋げたままで、3日間でした。
夜中になくなるのは怖くて・・・自分で止めたりと大変だったが。

4日目退院。今回は楽に歩ける。
2002年8月 今回は、何も変調が出ない。
記憶力もかわらず、2年分くらいの記憶が消えていっているようだ。
左手握力がドンドン低下しているようで、頚椎のヘルニアが影響あるのではないか気になり、地元で検査する。

平塚の先生にお願いして9月に精密検査。


この時点で左手握力19Kg、右は50Kg

20代に左63Kg、右60Kgあったのに、トホホ・・・
2002年9月 いざ、平塚へ。
またまた部屋が空いていない?個室でとの事
入院して、暇!!

問診時に握力検査。左13Kg、右50Kg


2日目造影MRI検査。普通のMRI撮ってから、造影剤注入し、またもやMRI。トータル2時間近くかかった。


3日目は、何もなし。一人だし、喫煙室の主に。

喫茶店の主にも・・・

4日目、CTミエログラフィ

検査室で、うつ伏せになり、耳の下あたりから、針を・・・
頚椎の中へ針が、骨に当るのがわかる・・・かなり怖い・・・
先生がしきりに動くなよとのことだが、麻酔も効いて来て、低髄でボケているので、まっすぐ向いてろと言われても、どこがまっすぐかわからなくなる。凄い力で針を刺していくものだから、どうしてもさされる方向に動いてしまう。動くなあ!と怒られちゃいました。押さえといてくれよ〜!

首からイソビストなるものを注入され凄い耳鳴りが襲ってきて、何言っているかもわからないような。なんとなく意識が遠かった・・・・

検査は何をしているか解らず、ストレチャーで移動、CT?室なんかわからなかった。

5日目、検査結果は、ヘルニアや、胸郭出口症候群は問題ないとのこと。

晴れて全ての症状は低髄液圧症候群から来るものでしょうとの事。喜んでいいのやら・・・

前回から脳の位置が変わってないようで、3回目EBPして帰る??との事ですが、7月にしたところだし間隔が狭いような気がして、11月に予約を取ってひとまず帰ることに。
2002年11月 3回目、EBPに、いざ平塚へ。
今回は大部屋へ。
全員、低髄患者の部屋でした。

入院してリラックス中、5時ころに先生が来られ、思わずEBP!来るなら来るって言ってほしいですね・・・心の準備が・・

またまた、強烈!一番痛かった。双子を産んだ気持ち・・・

今回は10分うつぶせになれとのことで、痛いがなんとかうつぶせに。10分後、今度は仰向けに1時間は寝てろとのこと。

いてえ〜腰が・・・・点滴も繋がれて今回は3本3,4時間でとのことでした。毎回、やり方が変わっているのは進歩しているのでしょうね?
メチャ痛で、看護婦さんが少しベットを起こしてくれる。それで案外楽になった。

同室の方々とお友達に。皆さん一回目のようで質問攻めに。

私は3回目という事で慣れっこになってますが・・・

2日目10時くらいから点滴1時前には終わる。

安静にしていなければと思いながらも喫煙室へ。

3日目も同じ調子。大分、腰が楽になってくる。

なかなか先生に会えない・・・

4日目は、ウロウロするだけ。ようやく先生が夜に来てくれて

お話をする。明日退院していいよとのこと。
2002年12月 あまり代わり映えはないが、足の裏の皮が剥け出す。
硬くタコみたいだったのだが、カッターで削れるくらい・・・

ドンドン剥けて行く。

新陳代謝が良くなっているのだろうか?
2003年1月 寝正月。実感がわかないなあ、新年の・・・

7日に平塚にて、検査予約。

いっぱいで、4月7日になっちゃった。

現在は、調子いいのか悪いのかもわからない感じかなあ

まだまだ、闘病記は続きそうです。
2003年4月8日 4回目の入院。
7日に入院して、夕方いきなりBPするよ!との事。??検査予約していたはずが?なぜ?
先生のチョンボ!だが、無理に8日にMRミエロを撮って貰った。
結果、胸椎下のほうで、1ヶ所はかなり広く漏れが広がって、後2箇所ほど影が見られるとのこと。
腰椎一番上にすれば広がるとのことで、夜、BP!
いつもいきなりだからなあ・・・5人目生んだ気持ち。
やる度に痛くなっているような・・・もうしたくないなあ。
注入後、俯いてといわれるが、痛くて・・・俯くのに5分はかかった・・
胸椎とのことで、腰下に枕をいれて、できるだけ上部に流れるようにしながら、体もごろごろ30分ごとに回転させながら、いきわたるように努力してみました。有効なのだろうか??
いつもどおり点滴日に3本ずつで3日後退院。

仕事で日光へ・・・こんな事では直らないだろうなあ・・・
次の日は長野で打ち合わせして帰途に・・
2003年5月初旬 治療院で胸椎の筋肉の緊張が指摘され、BP後の後遺症?というか、硬膜の再生が始まっているのかなあ?
筋肉をほぐしてもらうと、嘘のように腰なども軽くなり、楽になった。
症状の改善は、肩甲骨近辺のコリが少ないのと、脳が揺れなくなった。
頭痛は相変わらずだけど・・・
さすがにトラックに乗ると、頭痛が増すなあ・・・
2003年6月2日 友人のヘルニアの検査に便乗して、平塚へ
数日前から背中を刃物で刺されるような痛みで、寝れないし、動けないしで、急遽先生と相談して、診察。
もう死にそうなぐらい痛いと懇願して、明日MRIの予約を無理に入れてもらう。
2003年6月3日 今日は30代最後の誕生日。
朝一番から、待合室で待つ・・・昼前にやっと、MRIの撮影。
頚椎から胸椎にかけて撮影
またまた、ひたすら待つ。3時過ぎに先生の診察。
頚椎と胸椎間に水らしきものが大きく写っているとのことで、ここら辺が痛いですか?と触診。いて〜・・・
う〜ん、これは酷いかも・・BPしたほうがいいですね。救急で、入院しましょう。
とのことで、5回目の入院

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